JPフィットネス・ストレングス工房
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JPフィットネス - ストレングス工房 スタッフブログ

JPフィットネス - ストレングス工房: 2009年12月アーカイブ

【4】有効なトレーニングとは?

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有効なトレーニングとは?

 
 スポーツ選手のトレーニングというと、腹筋や腕立て伏せ、重いバーベルを反復したり、長い時間ランニングをしたり、そんな姿が思い浮かぶが、そういうことを黙々と繰り返せば、競技能力を高めるのに本当に役に立つのだろうか? 体力の強化に効果があるのだろうか? 
 では、競技力の向上、改善のためには、どういったトレーニングが有効なのであろうか?
 ただきつい運動を毎日ひたすら繰り返すことが、有効なトレーニングと言えるのだろうか?
 
◆トレーニング(鍛練)の本質は、自らの意思で、自らの心身を厳しく鍛え上げることであるが、一生懸命、真面目にウェイト・トレーニングを行う選手は、それだけでエライという先入観は非常に危ない。
 この真面目さが、どのような方向に向かい、何をもたらすのかを、しっかりと見極めなければ、エライかどうかは分からないのである。
 適正なトレーニングを実践して智恵の力を身に付け、実戦において自在に技を活用できるようになった選手がエライのであり、また特別なトレーニングや修練などしなくても、日々技を磨いて実戦で高い能力を発揮している選手も、同じようにエライ!
 
 同様に、全てのトレーニングが単にきつければ有効なトレーニングだとする単純な考えも、これまた危険である。きつくて厳しいだけでは、有効なトレーニングにはならない。
  ウェイトを持ち上げること、走ること、忍耐すること等、これらは全て競技に活かすために訓練することであり、走ること、力をつけること、我慢することその ものが目的ではない。あまりよい例えではないが、走ることが最良のトレーニングなら、全員陸上部に入部すればよいし、同様に辛いことにじっと堪えて忍耐力 を付けるのが目的なら、会社でつらい思いをして、我慢の毎日をおくっているサラリーマンは、最も優れたトレーニング実践者ということになる。
 
◆トレーニングを有効ならしめるには、必ず『智恵』の力が要ることを知るべきである。
  トレーニングには、必ず智恵の力=洞察力が必要である。
 考え方と実践、目的と実施方法、問題発見と解決、肉体と精神、身体と心の両方をバランスよく組み合わせて行くところに目指す真のトレーニングがあることを、たとえ道は遠くとも、指導者の戒めとして銘記すべきであろう。
 
◆では、智恵(考え方)とは何か? 
 ひとつの捉え方として、自分の心(やる気)をしっかりと捉え、それをより良い方向へと改良・向上させていくための精神力のこと、と言えよう。適正な手段・方 法、タイミングによって為されたトレーニングの結果が、その選手のパフォーマンスを高めるかどうかを見極めるのも智恵の力である。知識はもとより、経験、 勘、英知・智慧を総動員しなければならない。
 
◆さて、この分野において、真に有効なトレーニング方法は、どのような経緯で生まれ、伝承されてきたのであろうか?
  なるほど、ウェイト・トレーニングにおけるベンチプレスやスクワットのように、伝統的かつ代表的なエクササイズについてのものや、ボディビルディング的な 流れによるものは、印刷物として残されているものも多いが、真に競技スポーツへの展開、有効な活用法といったレベルでのものは、その大半が本や雑誌等の書 籍によって伝えられてきたものではないことは確かである。
 私の知る範囲でも、活字にして残されることなく、実に数え切れない有名無名の選手や指導者によって、試行錯誤を繰り返しながらも様々なトレーニング(法)が地道に取り組まれてきたのである。
 何が有効か?を見る眼を養うには、そういう個々の選手や指導者のひたむきな実践に眼をむけながら、真に有効なエクササイズの選択、活用、組み合わせや応用、 場合によっては創造(新しく創り出す)を繰り返し、自らのトレーニング実践と指導実践を地道に行いながら、選手の変化を観ることによって、その事実に学ぶ こと以外に真っ当な道はないように思うのである。
 
◆ 近年、誰かの奇抜なネーミングによる「OOOトレーニング」、とか「OOOO法」と言ったエクササイズにおける特徴的な動きや、或いは負荷様式の一部を突 出させたようなネーミングでもって、『これが最新で、唯一絶対の筋トレだ』と主張する傾向が見受けられるが、その原因の一つは、選手の実態と現場で起こっ ている事実、及びトレーニングの実践理論に対する無知である。加えて、指導者としての経験不足があげられる。
 各自が乏しい根拠で、短絡的に『トレーニングとはこういうものだ』等と言い出せば、個人の独断ばかりが並ぶことになるのは、当然であろう。
 
◆では、我々が後世に伝えたいことは何かというと、『バーベルやダンベル等のフリーウェイト、それにマシン、チューブ、帯、自体重を利用したトレーニングは、”工夫次第で”確実に選手の運動能力を改善し、パフォーマンスを向上させることができる』という確信である。
そのためには、指導者としての自覚、実践、それに研鑽が必要なことは言うまでもない。
 
 工房日曜研修会は、それを必要とする人を静かに待っています。
 
≪田内敏男≫

【3】コミュニケーション:対話

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コミュニケーション:対話について

 一口にコミュニケーションと言っても、例えば、仕事上の会議、ミーティング、打ち合わせ、事務的な連絡から、プライベートなレベルのものまで、実に様々な形態が考えられる。
 その手段・方法となる携帯(電話、Mail)、ファックス、手紙、直接対話等の『使い分け』が、どうやら今の若い人は、非常に苦手のようである。初歩的・基本的な間違いが多いのである。
 いざ仕事となると、なかなかタイムリーに『報告・連絡・相談』をこなせる人は極めて少ない。

 何故だろうか?
 それはズバリ、『訓練』が為されていないためである。
 要するに、一枚の報告書を書くにせよ、直接面談(相談)するにせよ、その多くが、全くと言っていいぐらいに『訓練不足』なのである。

◆対話について
 さて、コミュニケーションの最も基本であるのは、言うまでもなく直接会って話すこと、つまり『対話』である。いくらテクノロジーが発達して便利になろうとも、これは大原則だと思う。他の手段は、それを補うものに過ぎないと私は考えている。

 『言いたいことが有れば、言いたい人に、直接、自分の言葉で伝える』、これが鉄則である。

 思うに、対話の目的(意味)は、互いの心と心が理解し合うことにある。
言い換えれば、心と心を通わせるために行うもの、心から互いに理解し合うために行うものであろう。
 ところが、時として言葉は、心を隠す役割しか果たさないことがある。
本音を隠すために繕ったり、言い訳の道具になってしまうのだ。非常に残念であり、不幸でもあるが、こうなっては、もはや話す意味は無い。
 話し合いによって問題が解決することも有れば、話し合いでは何も解決しないこともあることを理解すべきであろう。

 そもそも対話においては、語彙が豊かで饒舌であることなど、全くもって必要ではない。たとえ、口下手、訥弁であっても構わないから、時には身振り、手振り、表情(目力:メジカラ)を交え、言葉を介して自分の真情(心情)を訴えるものでなければならない。

 ならば、これを阻んでいるもの(要因)は、何であろうか?

  使い慣れない敬語を無理に使おうとしたり、意味もなく相手を畏れたり、過剰に遠慮をしたり…等、様々な要因が思い当たるが、その根本は、相手と話すことに よって、真に相手を理解し、また自分のことも理解してもらおうという強い気持ち、互いの誠意が鍵である。一方通行、対立の関係からは何も生まれない。

 我々は一人ではない、と言うことを、改めてよく噛み締め、日々の業務、自己啓発・研修・鍛練に励み、前進して行きたい。
 相手に対する敬意と誠意、そして勇気と礼儀を持って臨めば、きっと対話は、多くのものをもたらしてくれるだろう。
 日研では、あくまでも自然体で、各個人がそうなることを目指します。

 日研は、そのような訓練を必要とする人を静かに待っています。

≪田内敏男≫

【2】失敗を恐れてはいないか?

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『失敗を恐れてはいないか?』 

 人は誰しも、ミスや失敗をしないように注意して過ごしている。
 だが、度を越して、「失敗をしないようにするため」だけに、精神的エネルギーの大半を費やしている人がいたとしたら、それはエネルギーの浪費であるばかりか、悲しむべきこと、不幸なことでもある。

 我々の専門とする業務においては、他の業種の仕事と同じように、ミスや失敗をしないことも、当然のことながら大事ではあるが、それ以上に積極果敢に「新しい事や人」にぶつかっていくこと、ミスを恐れず勇猛果敢に立ち向かうことの方が、遙かに重要ではないか?

 そういうことを、私は困難な勝負に立ち向かっていく選手から学んだように思う。
  現代という風潮を反映してか、はたまた「トレーナーやインストラクター」が、それほど特殊な業種のせいなのかは分からないが、それぐらい「活きのいい」若 者に出会うことが少なくなってきたと感じている。まだまだ「これから・・・・・」という若者(専門職の卵)が、「失敗しないこと」ばかりに気を取られるの は、如何なものか・・・・?と思うのである。

 人間である以上、間違うこともある。当然、失敗することだってある。
 だが、間違ったら直せばよいし、失敗したらやり直せばよい。ともかく、日々の研鑽、研修、訓練、鍛練なくしては何も始まらない。
 そうやって日々、迷い考えながら、行くべき方向を求めて前に進んでいく。そこに、我々指導者が目指す生き方があると思う。
 仕事人として誠実に勤め励むことに『人生の価値』を見出だす。指導者としての在り方は、それ以外にはない。

 選手は、と言うよりも人は、様々な事情で方向転換をしたり、回り道をする度に、或いは極度の不振に陥ったりしたら、それまで積み上げてきたものが、全て無駄になったような喪失感、虚無感に苛まれることがしばしばある。
  しかしながら、過ぎ去ってみて、改めて振り返ってみると、無駄だと思い込んでいた様々な経験が、今の自分自身を築くうえで不可欠なものであったことに思い 至る。無駄になるどころか、失敗や迷いも含めて、過去の様々な体験は、生き甲斐を持ち、生き生きと今を生きる自分にとって、非常に大切な栄養になっている ことに改めて気付かされる。


 これまでの人生での回り道や失敗を、今後の仕事や人生にどう活かすか?
 どうやれば、過去の全ての経験を意味あるものとして位置付けることができるのか?
 そういうことを真剣に考え、真摯な態度で実践して行くことを、工房日曜研修会(通称日研)では目指します。
 工房日研は、それを必要とする人を静かに待っています。

≪田内敏男≫

【1】トレーニングとは

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◆はじめに
 競技スポーツに取り組む選手のトレーニング(狭義には筋トレ)は、本来どう在るべきか?
 この二十年余り、指導者として実践活動を行い、試行錯誤しながら探求するうちに、おぼろげながらその核心のようなものが見えてきたように思う。

◆万能のトレーニングは?
 世の中には、それだけで絶対的な効果のあるトレーニングなど存在しない、ということもその一つである。
 トレーニングの真の効果、或は有効性と言ってもよい、それは競技成績における一時の華々しさではなく、日々の実践を一つずつ積み上げていく、その確固たる道筋に現れる。
 したがって、指導者として有効なトレーニングを求めて得られなかった苦しみを消し去るためには、外の絶対的なものにすがっても意味がない。
 そのためには、トレーニングの原理・原則、法則を正しく知ったうえで、またそれらを合理的に利用したかたちで、選手の身体を肉体と精神の両面から深く理解し、自分の心身と技を鍛練していくしかない。


◆役に立つヒント
 もし、トレーニング指導者としての私が、ただ私一人だけの拙い実践経験や指導経験、ましてや人生経験だけをベースにして、何かを語ろうとしても、それは自ずと内容の浅いものになってしまうだろう。
  しかし、幸いなことに、この20年余り、私には指導者として共に歩んでくれたパートナーがいたし、真摯な姿勢で勝利を追求するチーム、選手(コーチ、監 督)と共にトレーニングにおいて様々な課題を探究してきたこと、そのことによって得られた知恵と工夫は、何ものにも変え難いものであった。


 先人の経験から得られた様々なトレーニング法や、それにまつわる言葉は、「最適なトレーニングを合理的に考える」ために、その方法を教えてくれる。
 もちろん、いつの時代の、誰のトレーニング方法であっても、常に現代の視点で見つめ直すことは必要である。


 
私がこのコラムを書いていく中で目指したのは、読者の方々が、今現在行っている練習やトレーニングの中で使えるように、先人が残したもの、私が経験してきたもの、選手に教えられたもの、その他のものによって得られた、
 考え方のヒント
 方法論的な工夫
 具体的なエクササイズ
等について、紹介することである。

  工房日曜研修会は、若い指導者(トレーナー、トレーニング・インストラクター)を対象に、プロとしての仕事に必要な専門的知識&実技、指導方法をはじめ、 様々なトレーニングの考え方、対人関係について、トラブル対処法、成功哲学研究など多岐にわたる内容を取り上げます。もちろん、私の講話もありますが、強制したり、強要したりするものは何も有りません。直ぐに役に立つものが、どれだけあるかは分かりませんが、工房日曜研修会は、それを必要とする人を静かに 待っています。

≪田内敏男≫